刀剣甲冑研究ブログ

日本人の精神性を象徴する「日本刀」をメインに日々豆知識を綴るブログを開設します。その他甲冑や武具等々…。

GHQの刀狩り

日本刀を語るにおいて、避けては語れないものの一つに「GHQの刀狩り」があります。

第二次世界大戦直後、連合国軍占領下の日本において、「日本刀」は悲しい運命に翻弄されます。

1945年9月、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、敗国日本の占領政策の一環として、武装解除の名のもと大規模な「刀狩り」を行いました。「銃砲等所持禁止令」により狩猟・競技用を除いた銃器類と、膨大な刀剣類(脇指、槍、薙刀も含む)は警察署を通し接収され、大部分が、なんと…「海洋投棄」などの処分を受けました。海洋投棄を免れた刀剣たちは約20万振。米陸軍第8兵器補給廠(当時の東京都・赤羽)に集められ、米軍に接収される事となりました。これらの刀剣は東京都北区、赤羽という土地に集められたことから、通称「赤羽刀」と呼ばれています。

その約2年後、1947年。関係者たちの強い嘆願により「美術的価値」の高いものは「武器」ではなく「美術品」である、という主張のもと返還を許され、約5600振が日本に返還されました。その後元々の所有者への返還の動きが始まり、約1132振が持ち主たちのもとへ帰ることができました。

その後も近代に至るまで返還を求める声は続き、1995年には「接収刀剣類の処理に関する法律」が成立。翌年2月から施行され、文化庁が元所有者の返還を受け付け、7振が持ち主のもとへ返還されました。

 

戦争の終焉に悲しすぎる運命を課された「日本刀」。

なぜ接収を決断されてしまったのでしょう?

そこには「武装解除」の意味合いだけではなく、「日本刀」ゆえの理由がありました。

 

「日本人は日本刀を持つと、その瞬間に纏う雰囲気が変わった」といいます。

「日本刀」と共にある日本人は武士然とし、決して挫けない心を持ったのです。

不利な場面も果敢に立ち向かう、勇気と鉄の精神に恐れをなした米軍は、日本人からその力を奪うために、彼らが心底大切に、その信仰のようなものを向けている「日本刀」に目をつけたのでした。

 

次回の記事では、このように「武器」であり、「信仰」の対象でもあった「日本刀」が、接収ののち返還を許された理由の「美術的価値」に焦点を当てていきます。

 

 

日本刀とは

日本刀、とはどんなものを指すのか、改めて整理致します。

 

日本刀とは日本固有の鍛冶技術で作られた刀剣の総称を指します。

「日本刀」という呼称は海外から見た呼称なのでもともと「日本刀」と呼ばれていたわけではなく、古来日本では「刀」と呼ばれていました。

「折り返し鍛錬」と言って、熱した鉄を刀工が繰り返し叩き鍛えることで製作されます。

長さに関わらず日本固有の製法で作られていれば「日本刀」と言えるので、「短刀」から「脇指」「打刀」「太刀」、広義では「槍」「薙刀」「長巻」「剣」なども日本刀と言えます。

日本では古墳時代から刀剣が製作されてきましたが、平安末期以降に主流になった片側に刃があり反りのあるタイプのものが一般的な「日本刀」とされるようです。

最もイメージされ易いものは時代劇でよく登場する「打刀」ではないでしょうか。

侍が腰に差して「脇指」と共に二本差ししている姿で馴染み深いですね。

 

古くは戦いで使用された「武器」でありながらも、様々な工芸技術の粋を集めた「美術品」でもあり、歴史的観点から見れば「文化財」としての価値を持つ日本刀。

第二次世界大戦ではGHQ(連合国軍総司令部)の指示により「武器」として重火器、刀剣類は武装解除の名のもとに連合国軍に強制的にその大部分を取り上げられてしまった過去を持ちます。

「槍」や「弓矢」などは不思議とあまり没収されなかったようで、いわゆる「打刀」「太刀」「脇指」のような日本刀!といった見た目のものが多く没収されたようです。

そこでふと疑問に思う、何故「槍」や「弓矢」じゃないんだろう…。

戦に詳しい方ならご存知の通り、戦とは基本的に飛び道具などがメインの世界。はたして近接戦でしか使用できない日本刀を奪う事がどれだけ戦術的に効果を持ったのだろうかという疑問が浮かびます。

その理由は次回の記事、「GHQの刀狩り」で詳しく触れたいと思います。